つながるコラム「絆」 vol.95 海士町 ・ 丹後貴視さん

隠岐どうぜん地区本部

たくさんの想いが詰まった梅とみかんを届ける

丹後貴視さん(35歳)

隠岐どうぜん地区本部

産業化への苦闘と梅との出会い

島根県の北に浮かぶ隠岐諸島・海士町。島の南端に位置する崎地区で、丹後貴視さんはミカンと梅の2つの作物に情熱を注いでいます。雲南市出身の丹後さんが海士町へやってきたのは2013年のこと。島根県立大学で地域政策を学び、まちおこしに興味があった丹後さんは、海士町のミカン農家募集をきっかけに移住を決意しました。
昭和30年代から盛んだった崎地区のミカン生産。しかし、生産者の高齢化や安価なミカンの流入により衰退の一途をたどっていました。そこで、「崎みかん」を復活させようと、海士町役場が中心となって「崎みかん再生プロジェクト」を立ち上げ、全国からミカン農家を募集しました。そこに名乗りを上げたひとりが丹後さんでした。来島当初は「ミカン産業を確立する」と意気込んでいましたが、その道のりは想像以上に過酷なものでした。
まず、瀬戸内の島へ何度も研修に行き、学んだことを持ち帰って実践してみたものの、木が全く育ちませんでした。瀬戸内の温暖な気候での栽培方法は、冬が厳しい日本海側では全く通用しなかったのです。そこで、隠岐に合った栽培方法を模索することからスタート。「役場の計画では、3年でミカンができる予定でしたが、それが5年目くらいからようやく実がなりだしました」と丹後さんは振り返ります。この予定外の期間に、丹後さんの営農生活を助けるもう一つの柱となったのが、地域で受け継がれてきた梅でした。

「蘇婆訶(そわか)梅」の始まり

梅栽培は、今から約20年前の2004年、「島おこしプロジェクト」の一環で始まりました。当時、地元産の天然塩「隠岐國・海士乃塩」を活かした梅干しづくりが構想され、食の研究家である故・中村成子(しげこ)先生の目に留まった崎地区で始まりました。梅は『蘇婆訶(そわか=幸あれの意)梅』と名付けられました。農薬も肥料も一切使わず、自然なままに栽培している『蘇婆訶梅』は、中村先生と崎地区の皆さんが築いてきた自然栽培の信念のもと、大切に育てられてきました。梅の栽培開始からおよそ10年後、高齢化により事業継承が課題となる中、「ミカン農家として若者が来たらしい」と丹後さんに梅の事業について声がかかりました。

潮風と粘土質が育む自然の恵みと「青梅ブーム」

ミカン栽培で生計を立てられなかった初期の頃、梅栽培が丹後さんの生活を支えていました。現在も「梅の収入があるおかげでなんとか生活できている」と丹後さん。当初は地区住民と共同で作業を行っていましたが、高齢化により5年ほど前から徐々に丹後さんが一人で担うように。また、国の法律で梅干しが簡単に販売できなくなった時期と前後して、図らずも世の中に"青梅ブーム"がやってきます。一部の若者たちが梅仕事と謳い、家庭で梅シロップや梅酒をつける人が増えていきました。丹後さんはそのブームの少し前に梅干しから青梅の販売へと事業をシフト。青梅需要の高まりに応え、首都圏の自然食品業者へ、多い時には2トンを出荷するまでに成長させました。梅の収穫期は初夏、ミカンの収穫期は秋と時期が分かれているため、年間を通した経営安定につながっています。

地域の支えと「顔が見える」個人農家の誠意

ミカン栽培の苦境を乗り越え、梅の事業を安定させてきた丹後さんの農業は、地域の方の支えと、個人農家としての徹底した誠意で成り立っています。 「地元にはミカンを20箱も買ってくれる方もいるんです。本当に地域の方に支えられているなと感じています」と丹後さん。梅やミカンの収穫時期には、地域の方にも手伝ってもらっています。地域の皆さんが、それぞれのやり方で営農を応援してくれていることに、丹後さんは心から感謝しています。
そして、丹後さんが何よりも大切にしているのが、個人農家としての信頼です。「結局、誰から買うかが重要だと思っています」と丹後さん。特に自然栽培の作物を求める消費者は、生産者の人柄や誠意を重視する傾向があるそう。なぜなら、直接会えない中で、何をどのように育てているかを判断する上で、生産者を信頼するしかないからです。そのため丹後さんは、ネット販売での丁寧な対応や徹底した選別、梱包への配慮といった細かな努力を欠かしません。これは「真摯な姿を見せる」という、顔が見える生産者としての責任感の表れです。

たくさんの想いが詰まった梅とみかんを届ける

梅の事業継承は、現在も地域の方々と良い関係を保ちながら、今まで築いた梅の歴史と技術を未来へつなぐ努力を続けています。 一方、初期の苦労を乗り越えたミカン栽培は、今や丹後さんや海士町、その他協力してくれた人たちの長年の挑戦の結晶です。「崎みかん」は酸味と甘みのバランスが良いミカンとして、島外にもファンを増やしています。
丹後さんが海士町に来てから13年。丹後さんが作る梅とミカンは、産業化への苦闘、長年の並大抵ではない努力、そして「そわか(幸あれ)」の願いと、自然と人々の絆。その幾重もの想いを込めて、海士町崎地区の魅力を発信し続けています。



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