つながるコラム「絆」 vol.77 益田市 ・ 株式会社松永牧場 松永拓磨さん
松永 拓磨さん(36歳)
西いわみ地区本部
人生を変えた瞬間
益田市の山あいにある株式会社松永牧場は、肥育牛を中心に約7,500頭もの牛を飼育する大規模な牧場です。毎年東京で行われる「全国肉用牛枝肉共励会」では、2023年に2年連続で最高賞である名誉賞を受賞。今や首都圏をはじめ島根県内外で高い評価を受け、全国でもトップクラスの牧場のひとつです。
取締役の松永拓磨さんは、代々松永牧場を経営してきた家系の中で育ってきたものの、小さい頃は家業を継ぐことは考えていなかったのだとか。また、社長である父親の和平さんから就農を勧められたことは一度もなかったそう。そんな拓磨さんが牛に興味を持ったのは大学2年生の時。研究会で上京していた和平さんから「一度見に来てみないか?」と誘われ、そこで初めて見た枝肉に惹かれたことがきっかけだったと言います。枝肉とは、牛の尾や頭、四肢を切り取り、皮と内臓を取り除いた状態のもので、肉のきめ細かさや、赤肉の割合などいくつもの条件によって評価が決まります。拓磨さんは「当時はまだ何もわかりませんでしたが、それぞれの肉によって個性があるし、枝肉にかっこ良さを感じました。いかにロスを少なくするかという"歩留り"も奥が深いなと思って」と振り返ります。拓磨さんにとって、この時の出来事がターニングポイントとなりました。先のことを考え企業への就職を経験
大学卒業後、すぐには実家の牧場に帰ることを選ばなかった拓磨さん。「社長は銀行員を経てから跡を継ぎ、社長の弟である専務は、もともと牛が好きで小さい頃からお世話をしていたそうです。そんな2人を見て、自分が同じことをしてもだめだと思いましたし、経営方法や飼育についてもいつか行き詰まる時が来るのではないか」と感じていた拓磨さんは、鹿児島県の飼料メーカーに就職。南九州は日本の畜産業の一大生産拠点であり、多くのプロの経営者の考えを間近で見ることができ、営業担当だった拓磨さんは先輩から学ぶことも多かったと話します。
しかし、入社して3年が過ぎた頃から、「こうしたら成績が上がる」と自信を持って勧められる経験が身に付いてきたものの、お客さんにはなかなか納得してもらえないもどかしさも感じることが増えてきました。いつしか、自分で牧場を管理してみたいという気持ちが強くなってきた拓磨さん。ちょうど父親の和平さんが浜田メイプル牧場を新設するタイミングと重なったこともあり、2017年に地元へUターンすることになりました。
大切にしているのは毎日の積み上げ
2019年から松永牧場の管理に携わる拓磨さん。牛の餌やりや体調管理などはスタッフや獣医師に任せ、拓磨さんは「牧場全体の成績向上や維持」を中心に総括を担っています。「牧場の成績が毎日同じレベルになるように、日々の積み上げを大切にしています。例えば、最初の3日で100点を取り続けても、その後の3日で0点を取ってしまったら意味がありません。そうならないよう、毎日同じ点数をコンスタントに取り続けることが目標」と話しました。
外食で家族の時間を楽しむ
拓磨さんは休みの日には青年会議所に参加し、地元の人たちとのつながりを持つことも大切にしています。また、家庭では小学1年生と1歳の2人の娘さんのお父さんでもありますが、「時間的にもあまり育児に参加できていなくて...」と苦笑い。月に2,3回外食をすることで、家族で過ごす時間を楽しんでいます。
日本で一番認知されている会社に
人口減少が進む日本で今の業務形態をどう維持していくかという課題に対し、やはり"食べてもらうこと"が一番だと語る拓磨さん。「私たちは、何年に一度の記念日にしか食べられないようなハイブランドの牛肉を目指しているわけではありません。月に一度、何週間に一度でも食べてもらえるような身近なローカルブランドを作っていきたい。どうしたら消費者が手に取りやすくなるかを考えています」と話しました。石見地方に展開するスーパーのキヌヤでは"まつなが牛"を常に販売しており、牧場にとっては地域と繋がる大切な存在です。
最近は、地元の学生と話す機会も増え、県外にいても地元食材を食べることで立派な地域貢献になることを伝えています。まずは、"みんなに松永牧場を認知してもらうこと"。それが、今後も牧場を維持していくために一番重要なことであると確信しています。
常に問題定義し、自分たちがいる位置を確かめながら進んでいく。そして必要ならアップデートしていく。あらゆる方法を模索しながら拓磨さんは松永牧場を支え続けています。