つながるコラム「絆」 vol.60 奥出雲町・川西邦夫さん
川西邦夫さん(72歳)
雲南地区本部
父から受け継ぐ開拓精神
雲南市から国道314号線を南へ、広島との県境、奥出雲おろちループ近くの標高730m三井野原高原 に川西さんのハウスはあります。現在は32棟、約56アールのうち28アールで40品種程を栽培し、今年 は50,000本の出荷を予定しています。川西さんの父親は、昭和23年夏に香川県高松市より開拓のためこ の地を視察し移住することを決めます。住む家を造り、スキー場の開設、駅の誘致にも尽力されたそうで す。川西さんは大学卒業後に大手建設会社に入社。「このときの業務の検証や情報集約の経験が、花作りに も役立っている」と笑いながらおっしゃいます。父親の病気を機に会社を退職し三井野原へ戻った川西さ ん。「父の開いた三井野原がやっぱり好きだったんです」と振り返ります。
トルコギキョウとの出会い、試行錯誤の連続
当初は、夏秋野菜や別の花を栽培していましたが、広島の農業普及員からサンプルでもらった「ミスライラック」に感動してトルコギキョウの栽培を始めました。最初は種まきから大きくつまづきます。種が小さく、好光性種子のため、覆土しなかったことから、風で飛んでしまったことに気付かず、ほとんど発芽しなかったそうです。2年目は工夫を凝らします。トイレットペーパーの上に水をまき、その上から種を蒔いたことによって視認性も高く、多くの発芽があったそう。その後は専門家の指導を受け、7.8年前までは自身で育苗をしていましたが、現在は種を選び、JAの育苗センターで行っています。「4月に定植すると、8月の出荷まで水やりが一番大切」と話す川西さん。根を乾かさないことに注力します。「三井野原の黒色火山灰土は、野菜にはいいが、根が深く入る直根性のトルコギキョウは難しい。最初の7.8年は本当に苦労した」とおっしゃいます。しかし「難しいほうが燃えるんですよ」と川西さんの情熱は尽きません。
気候変化が影響を
今年の三井野原は経験がないほど気温が高く、水温にも影響がでています。肥料の効きが早くなり、 葉先枯れが発生するチップバーン現象が多く見られ、整枝作業が増え、採花予定も遅れてしまいます。そ のため「ゆっくり長い時間をかけて米ぬかを60度に発酵させ、油かすなどを加えた有機肥料を作って対策し ているが難しい」と話す川西さん。また、梅雨明けからの雨天続きで日照量が低下し、つぼみが成長せず枯れてしまうブラスチングが発生し、作業の手間を増やしています。「作り始めて一番苦労した。天候不順が大きく1年目の緊張感ですよ」と川西さんは笑顔で語ります。
早朝からの収穫、出荷作業
出荷は8月から11月まで続きます。作業はご夫婦と2人のパートさん。採花は、気温が高くなる前の早朝3時半から始めます。花を作業場へ運ぶと下葉を外し選別。メモリのある作業台で75cmにそろえて10本で束にし、その後処理液に浸けます。水上げを良くし、花持ちに効果があることから、12時間は浸けておくそうです。そして、出荷日当日も早朝から作業は始まります。束にした花の茎部分に保水剤をカラー帯で止め、新聞紙で包みます。高品質の花を市場へ届けるための一手間加えた工夫です。日・火・木曜日が出荷日で、8時までにJAの集荷車に間に合うように準備します。収穫量が多い日は、2日間かけて準備します。コロナの影響もあり事前に写真データを送り、オンラインの競りにも対応しています。
趣味からも学びを
「トルコギキョウを栽培することが趣味のひとつ」と話す川西さんですが、近年はトマト栽培が楽しいのだとか。「種類が多く面白い」と笑顔をみせます。今年は6品種を栽培し、加熱調理用や茶色の珍しいものもあるそうです。しかし「花の出荷がピークになる頃には、畑はジャングルになってしまう。とてもトマトまで手が回りません」と苦笑いの川西さん。冬場は読書を楽しみますが、ここでも園芸書をよく読むそうです。川西さんの探究心は止まりません。
これからもいい花を作り続ける
人とのつながりを大切にしながらトルコギキョウと向き合ってきた川西さん。「壁にぶち当たったときに逃げたらそこでおしまいだが、人とのつながりを大切にしていると、必ず誰かが手を差し伸べてくれる」と話します。
市場からは"いい花を届けて"とシンプルで一番難しい要求をされているのだとか。「冠婚葬祭、特に葬儀にも彩り鮮やかな花が使われるようになった。これらの新しい需要に応え、いつも花屋にトルコギキョウが並ぶようにしたい」と決して近道だけを選ばない川西さんの挑戦は続きます。