つながるコラム「絆」 vol.55 知夫村・市川雅賢さん

隠岐どうぜん地区本部

知夫村で実現できる健康的な放牧

市川雅賢さん(43才)

隠岐どうぜん地区本部

健康な牛を育てたい

隠岐諸島の最南端に位置する知夫里島。手付かずの雄大な自然が多く残るこの小さな島に昨年の8月、移住してきた市川さん。東京出身で、北海道の大学で畜産を学んだ後、岡山の農場に就職。その後、牛の肥育牧場で働き数年が経った頃、「放牧」に興味を持ち始めます。日本の肥育は一般的に、サシを入れるためビタミンをカットし、脂肪を増やすために牛舎で運動させないようにします。しかし、牛は本来、エサを探して動き回るという習性があり、特に子牛の時期は飛び跳ねることも。市川さんは「牛たちにはもっと動き回って、ストレスを感じない生き方をしてほしい。それができるのが放牧」という自分なりの考えに辿り着きました。

ニュージーランド、そして知夫へ

放牧ができる場所を求め日本各地を探しましたが、なかなか自分たちの条件に合う場所が見つからず、世界に目をむけることに。そこで辿り着いたのは、世界でも有数の酪農大国であるニュージーランド。ニュージーランドはほとんどが放牧だったため奥さんと相談のうえ移住を決意します。市川さんはそこで経験を積み、ファームの重要な役割であるマネージャーの職を任せられるまでになりました。しかし、ニュージーランドの人は平均身長が高く、扱う道具の大きさや常に背伸びをしながら行う作業などに、やりづらさや体力の限界を感じ始めます。そして、13年が経った時、将来的なことを考え「日本で放牧できる場所」を再び探すことにしました。

以前から知夫村のことを知っていた市川さんは、縁あって役場の担当者と会うことになり、その後もメールでのやりとりを続け、経営の事業計画まで立ててもらうほどに。「これなら自分たちがやりたい放牧がこの島でできるかもしれない」という希望が現実化していき、ついに2021年8月、知夫への移住となりました。

知夫村で実現できる健康的な放牧

知夫村では、島の約半分を使って放牧が行われています。島民が共同管理している放牧場がいくつかあり、広大な敷地を皆で利用しています。放牧といっても、出産前後や、冬場は牛舎でエサをやるなど、農家によってやり方は様々です。市川さん夫婦は、できるだけ牛舎には戻さない方法を目指しています。それは牛の健康面だけではなく、野草をエサにすることで経営コストが抑えられるというメリットもあるからです。また、エサにはトウモロコシなどの濃厚飼料も必要で「お金をかけて良い飼料を与えると大きく成長するが、エネルギー価が高いだけではうまくいかない。草もある程度必要で、そこの兼ね合いがポイント」とのこと。どんなに良いエサを与えていても、病気をしてしまったら牛の値段は下がります。市川さんは「外で遊ばせた方が病気になる牛が少ないと感じる」と語ります。

島のやり方を勉強中

長年牛に携わってきた市川さん。現在は、地元農家の南敬二さんの元で、島のやり方について勉強中です。朝、夕のエサやりなど、日中は研修先の南さんの手伝いが主な作業。今後は、自分の牛を買い育てていく予定です。

最近南さんが、使っていない牛舎を貸してくれることになり、ご夫婦で屋根のペンキを塗ったり、戸を張り替えたりと、修理しながら独立に向けた準備を着々と進めています。



小さい島だからこそ、人との繋がりを大切に

ニュージーランドではスーパーまで車で1時間の場所に住んでいたという市川さん。島に不便さは特に感じていないとのこと。4歳のお子さんのお父さんでもあり、時間がある時には一緒に外で遊ぶなど島の生活を楽しんでいます。
また「小さい島だからこそ、人との繋がりを大切にしたい」と語り、「お互いの頼み事や、突然舞い込んでくる良い話などは、小さいコミュニティの魅力」と言います。
コロナの影響で地域のイベントは軒並み中止になりましたが、状況が落ち着いたら地域の行事にも積極的に顔を出していきたいとのこと。「ただ、自分は東京生まれなので、言い方がストレートになってしまう時があるので気をつけないと」と苦笑いする市川さん。放牧も、島の人たちとの繋がりも、一歩ずつ着実に積み重ねている市川さんでした。



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