つながるコラム「絆」 vol.42 松江市・津田かぶ

くにびき地区本部

地域のために、地域とともに

松江市・津田かぶ

くにびき地区本部 
くにびき地区本部 池田 仁志さん

「津田かぶ漬け」は島根の人であればこの季節、一度は聞いたことのある名前。その津田かぶを栽培される池田仁志さん(76)の圃場を訪ねました。池田さんの圃場は、松江市内を流れる大橋川と天神川に挟まれた東津田町の一角にあり、初冬の訪れを告げる、津田かぶの「はで干し」が目を引きます。
津田かぶの栽培は、9月中旬の種播きから始まり、10月中旬頃まで防除や間引きなどの作業を続け、11月中旬頃から収穫します。そして11月下旬から雪が舞い始める12月中下旬ごろまで、はで干しにします。「津田かぶや津田かぶ漬けは、松江の大切な文化だと考えている。また、はで干しは重労働で楽な作業ではないが、多くの人の力を借りながら、この風景を残していきたい」と池田さんは優しい笑顔で話します。現在、市内の津田かぶ生産者の殆どがJAを通じて近隣の漬物屋さんに出荷され、加工・販売されています。

津田かぶの歴史は江戸時代から

江戸時代、参勤交代の際に滋賀県で古くから栽培されている「日野菜かぶ」が持ち込まれて栽培されたのが津田かぶの始まりとされています。宍道湖からの有機質を豊富に含んだ肥沃な土壌に恵まれ、天神川の水運を利用した輸送の良さもあり、江戸時代にこの辺りは、津田かぶの大産地でした。また、松江藩の菜園場もあり、城下で消費される野菜類の大部分をまかなうほど野菜作りが盛んな地域でした。江戸時代末期に、この地の篤農家立原紋兵衛によって品種改良され、現在の「津田かぶ」の原型となる「紋兵衛かぶ」が生まれました。当時から漬物に適し、農家でも町屋でも毎年冬場になると漬物づくりが盛んに行われ、その文化は松江の人々に脈々と受け継がれてきました。池田さんが幼い頃には、この辺りの天神川沿いにはコンクリートで作られた大きな漬物桶(水槽のようなもの)があり、その上を走り回って遊んだのを覚えているそうです。

糠漬け派?浅漬け派?

野菜の少ない冬場の保存食として江戸時代から作られてきた津田かぶ漬けは、糠漬けと当分漬け(今でいう「浅漬け」)がその頃からあり、農家は糠漬け、町屋衆は浅漬けと、好みが分かれていたという記録も残っているそうです。 糠漬けは、葉の青さを保ちながら、程良く乾燥させるため、約一週間はで干しをします。その後、糠と塩で約一週間漬け込み、柔らかい歯触り、甘みと酸味が絶妙な美味しい糠漬けができあがります。いわゆる伝統的な津田かぶ漬けで「本漬け」とも呼ばれます。

一方、浅漬けは、はで干しせず、シャキシャキとした食感とみずみずしい甘みが味わえます。近年のトレンドが「浅漬け」ということもあり、はで干しする量は年々減少しているそうです。

津田かぶの型の秘密

「寒い時期に収穫・出荷し、漬物として加工され、年末年始をはじめとした様々な場面で楽しんでいただけることは農家冥利に尽きる。ただ、寒水で土を落とす水洗い作業は本当に大変」と池田さんは苦笑い。独特な勾玉型の形状が、土を落とす水洗いをより辛く困難なものにさせるのだとか。
なぜ津田かぶは勾玉のような形をしているのでしょうか?「諸説あるが、生育するにつれ葉で風を受け、その重さ、負荷によってこんな形に育つと聞く。ただ、不思議なことに、どこで栽培しても同じようになるかというとそうでもなく、松江周辺地域でしかこの形にならない」となんとも不思議な話。種や土地・土壌、水、様々な条件が整うことで、あの独特な勾玉型の津田かぶが育つそうです。


地域のために、地域とともに

池田さんは松江市立東津田児童館の館長も務め、様々な地域活動を行っています。「地域の課題にみんなで取り組み、そこを耕し、みんなで笑顔になる。そのために自分の農業を役立て切磋琢磨できれば」と真っ直ぐな想いを話します。法務省が主唱する「社会を明るくする運動」に賛同し、栽培した「ひまわり」を更生施設などに贈る活動をJAや地域の方、子どもたちにも協力してもらいながら10年以上続けた結果、平成30年には「第68回"社会を明るくする運動"民間協力者法務大臣感謝状」を島根県の代表として受彰。他にも蕎麦打ち会や野菜市などを企画し、農業への理解や津田かぶ文化の継承など地域貢献にも力を入れます。

人との繋がりが大事

池田さんの農場には「ラディッシュ」や「おでん大根」などなど、珍しい作物もたくさんあります。マーケットのトレンドを探りながら、こんなのを作って欲しいという声があればチャレンジし、作付けがうまくいかないと言う仲間がいれば、ノウハウを惜しみなく伝えます。人と人との繋がりを大切に、出し惜しみをしないのが池田流。「農業も地域づくりも私一人ではできない。多くの方の力を借りて進んでいければ楽しい」と地道な努力と、津田かぶを中心とした地域の農業を次世代に繋いでいくという思いを力強く話す池田さんの瞳は輝いていました。



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