つながるコラム「絆」 vol.17 海士の崎みかん
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海士の崎みかん、復活!
隠岐どうぜん地区本部
崎みかん再生プロジェクト
白石宗久さん・丹後貴視さん
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島根県の日本海に位置する離島、隠岐郡海士町。後鳥羽上皇が生涯を終えられた島として有名です。対馬暖流の影響を受けた豊かな海と、名水百選に選ばれた豊富な湧水に恵まれた、自然と食材豊かな島。そんな海士町での販売を目的としたみかん栽培は、おそらく日本で最北端の位置になるのでは!?
今回はかつて、海士町はもとより、隠岐郡内でとっても愛されてきた、崎地区のみかん生産の復活再生に取り組む、白石宗久さん、丹後貴視さん、お二人の畑を伺ってきました。
島のソウルフード、
崎みかんが消滅の危機に
海士町の最南端に位置する崎地区では昭和30年頃にみかんの生産がはじまり、最盛期には生産者10数人で、10ヘクタールあまりの畑でみかんが栽培され、おもに隠岐群内で消費されていました。ところが近年、栽培農家の高齢化や後継者不足により、面積は縮小、高齢の生産者4人、0.4ヘクタールまで畑は減少。島の皆さんは、昔からこの崎のみかんが大好きなのに、このままでは消滅の危機に!
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島民の熱い要望に、海士町役場やJAしまねが中心となって、「崎みかん再生プロジェクト」が始動。みかん農家を全国に向けて募集、そこに名乗りを上げ移住してきたのが、北九州生まれの白石さんと島根県雲南市生まれの丹後さん、お二人でした。
はじめての農業に奮闘も、
地域との心豊かなる触れ合い
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離島に移住し、農業自体初めての経験というお二人。白石さんは、前職は京都の半導体メーカーに勤務。娘さんが島前高校に行きたいということが海士町を知るきっかけで、いつか農業をやってみたいという思いとも重なり、移住を決心。農業は全くの素人でしたが、研修や地域の皆さんが親切に協力してくださり、毎日、試行錯誤しながら、地道に日々の作業をしているそうです。また、そこは海に囲まれた自然豊かな島。地元の若者と釣りに出かけては大物を釣って、釣った魚で宴会、島民との和を広げていらっしゃいます!
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丹後さん「はじめた時は、何よりも農業は右も左も分からない状態で大変でした。苗木を育てるにあたり、草刈り一つとっても、いつ、どれ位刈ればいいのかなど、毎日手探り、トライアンドエラーで挑戦しています」と丹後さんも前職は農業と全く関係のない職種。料理が趣味で、みかんを使った料理を考えるのが楽しみで、みかんを使ったタルトなども作っていらっしゃいます。
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二人とも「正直、農業がこんなに大変だとは思っていませんでしたが、地域の人達がとても優しくフレンドリーで、色んな出会いがあります」と、島全体がとても協力的なので苦労しながらも楽しく島生活の農業を行なっていらっしゃいます!
薄皮で身がぎっしり、
昔懐かしい日本のみかん
崎地区のみかんの特徴は何かあるのですかと質問すると、
丹後さん「みかんの産地というと愛媛や和歌山県など比較的気温が温厚な土地で栽培されます。崎地区は冬場がマイナス6度までなることがあり、まさにみかん栽培ができる限界ギリギリです。冬と夏の気温差が大きいので、みかんにとって環境は決して楽ではないと思います。そのせいかはわかりませんが、たくましく育ち続けるみかんの実は身がぎっしり詰まっています!酸味と甘みのバランスが絶妙で、どこか昔懐かしい、美味しいみかんができます」
最盛期並みの出荷へ
島外への出荷視野に
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白石さんと丹後さんが中心となって始まった「崎みかん再生プロジェクト」は平成25年にはじまり今年で4年。現在は苗木約2800本あまり定植、平成32年のオリンピック時には大幅な収穫量の増加が見込める。
丹後さん「現在は1ヘクタール・100本で年間8トン前後収穫できます。苗木が育ち収穫できるようになると最終的には現状の定植で、ざっと100トンの収穫が見込めます。その時にはさらに仲間を増やさないと作業が追いつかないほどの量になってきます」と、将来、新規就農者を迎えるために定植も急斜面ではなく、限り無く緩やかに苗木を並べるよう工夫。女性でも就農しやすいような環境作りにも力を入れているという。
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丹後さん「崎の美味しいみかん。まずはお世話になった島の皆さんにたくさん食べてもらいたいです。収穫が増えたら島根県の方、将来的には東京など都市部の方にも、この島のみかんをぜひ味わってもらいたいです!」と大きな夢を語ってくださいました!
海士町の崎みかん、いずれ皆さんにも、ご賞味いただく日が来ます!
乞うご期待!