JA統合10年記念誌デジタルブック
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17 旧JAの統合協議で対組合員では苦労はなかった。最も苦労したことは、統合前に人事管理面での問題が発生し、多額の経費計上が必要となった結果、新JAへの持ち込み資金がショートしたことである。 しかし、これに対応するために新たな役員体制を構築し取り組んだと同時に、職員の献身的な努力もあって、結果必要な資金の確保ができたことは幸いであった。 平成21年のJA大会で統合を決議し、研究会として協議するなか、平成24年3月に統合延期とせざるを得なかったが、事務局解散の気配が濃厚になりそうになった時は苦労した。 この点は、農業やJAにとって厳しい局面を打開する手段として統合は将来に向けての大きな挑戦であると認識し、この機会を逃せば永遠に後悔するとの意識で進めた。 また、人口減少によるJAの空白地帯を作らないためには1JAか3JAかの選択や、財務調整の考え方に各JA様々な意見があり、取りまとめに苦労したが、全JAの経営が健全であるうちに統合すべしとの強い信念が各組合長にあったと思う。 バブル崩壊が平成3年、それまでに変化の兆しはあったが、それを契機に農業構造、営農形態、農協経営の指標は大きく変化し、また変化を迫られた。 平成8年ごろにはすでに合併議論が始められており、これまでの思考と手法では、農協は衰退の一途をたどり破綻する可能性が予見されていた。 これに追い打ちをかけたのが平成20年のリーマンショックで、世界的な金融不安と同時不況に陥り、農業・農協を取り巻く環境は一層厳しくなった。 農協の本来の役割である農業の振興を図り、組合員の営農と生活を守るためには、ヒト・モノ・カネ・情報等の資源を集約して対応する必要があり、1県1農協の実現がベターであるとの方向性が確認されたのは当然の流れであったのではないか。 しかし、総論賛成、各論に異議ありは世の常で、特に財務調整と職員処遇などの人事政策で意見の相違があった。 財務状況は11農協それぞれが歴史の中で営んできた結果が反映されたもので、結果のみで優劣をつけ調整することばかりではないことを組合員が理解し合ってくれたことで、合併が実現できたと思っている。 また、新JAにおける職員処遇等に差が生じることは、同じJAにあってあるべき姿ではないが、地区本部それぞれの収益分配において公平性・平等性から、当面はやむを得ないとの判断をしてスタートしたと思っている。

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